プリンセスチュチュ
紹介文
2002年の名作アニメ、プリンセスチュチュ。バレエとクラシック音楽を主軸に置いた、セーラームーンを手掛けた伊藤郁子×佐藤順一によるアニメ。芸術性の高いその物語は、ストーリーから見ても大変素晴らしい出来となっています。物語の扱うテーマも、愛や心について哲学的アプローチを仕掛けながら、バレエやクラシックの音楽的、物語的意味も深く関わっており、子どもから大人まで視聴者それぞれ多面的な楽しみ方ができるアニメです。物語終盤の盛り上がりは圧巻。
プリンセスチュチュ 1(un)<初回限定バレエ音楽収録CD付> [DVD]
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2002/12/25
- メディア: DVD
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考察的な何か(ネタばれ注意)
このエントリーでは、雛の章からフィナーレにかけてのメタ構造について少し考えて、このアニメが何を伝えたかったのか(=私が何を受け取ったのか)を書きまs・・・書けたらいいなぁ。
後半の雛の章では物語と現実が混じり合い、物語に引っ張られていく現実、そのドロッセルマイヤーに定められた「運命」に登場人物が抗おうとする、といった興味深い物語構造を取っています。金冠町がドロッセルマイヤーの物語に支配されていることを登場人物たちが知ってしまうと、彼らは自分が操られているのではないか、自分は自身の意思によって行動できているのかと疑念や不安を抱きます。そして彼の描く物語の悲劇的な終焉を知った主人公たちは、その運命に抗うことで、自身の自由意思を回復します。つまり、登場人物の自由意思が危ぶまれるのは、神(ドロッセルマイヤー)の存在を知ってしまったからで、それが神(絶対的運命)と戦うことによって回復されるということです。戦った結果(エンディング)はそれ自体ではHAPPY ENDと断言しづらいものですが*1、本当の自分の姿にもどることの意義を見つけ、決められた運命に抗うという過程がそれをHAPPY ENDにしているのだと思います。
全てを受け入れる者に幸いあれ 全てにあらがう者に栄光を
21.AKT 「紡ぐ者たち」
物語内では、あらがうべき運命は悲劇的終焉という形で表現されていました。では、アニメは私たちに一体、何に対して抗えと伝えているのか。それは多くの物語で何度もテーマとなってきたもの。猫先生があひるに何度も言っていたことではないでしょうか。
自分には何もできない。そう決めてしまって、前に進もうとしていないのではありませんか。
21.AKT 「紡ぐ者たち」
夢に手が届きそうにないと感じることは、誰しもあるものです。ですが、自分には絶対にできないと決めてしまうのは、やる気のない自分を慰めることでしかありませんよ。自分の気持ちを誤魔化してはいませんか。
22.AKT 「石の冠」
アニメの中でも、あひる、みゅうと、るぅ、ふぁきあ皆が自分の本当の気持ちについて苦悩する場面が多々見られ、それによって3人があひると協力したり対立したりする体を取っていました。*2また、チュチュのバレエは王子にまどわされた女性の本当の気持ちを導くものでした。
プリンセスチュチュは私たちに誤魔化された気持ち、勝手に決めた限界やつまらない未来と戦って、本当にしたいことをする勇気を与えてくれます。*3