お話として読むSWAN SONG

紹介

エロゲ界で名を馳せた瀬戸口廉也のCarnival、キラ☆キラに並ぶ3部作の中の一つ。かつてないほどの大災害に建造物だけでなく人々の良心までも崩壊した被災地。主人公、尼子司は自閉症の少女を連れて、美しく生をまっとうしようとする。

SWAN SONG

SWAN SONG

お話として読むSWAN SONG(ネタばれ注意)

瀬戸口さんのテキストは、細やかで味のあるものでしたが、私はプレイ序盤、登場人物から人間らしさを感じられず違和感を覚えていました。その違和感は時間経過とともに薄れて行きましたが、今再考してみるとやはりSWAN SONGの登場人物は人間らしくないと言っていいように思います。
これは瀬戸口さんがSWAN SONGの登場人物に、それぞれ「役割」を持たせているからではないでしょうか。尼子は「どうしようもないもの」に戦う勇者。柚香は「どうしようもないもの」に屈し諦念した者。田能村は力を持っていながら「どうしようもないもの」から逃げる者(ちょっと違う気もします)鍬形はマイ正義によってではありましたが、「どうしようもないもの」に立ち向かった者。(だから瀬戸口さんは彼が好きなのでしょう)あ、雲雀はタノさんの嫁。まおまおかわいいよまおまお!
ですから、SWAN SONGがリアルじゃないという批判は意味を為さないように思います。この作品はお話(フィクション)として書かれているのです。だって尼子さんのように、あそこまでクールに世の不条理と戦えませんもん。ほとんどの人間が柚香のように、どこかで妥協しちゃうんです。
だから、こんな世の中だからこそ、瀬戸口さんは尼子司という非現実的な“人間の理想像”を書いたのではないか。人の生き方の理想像としての尼子司の提示。そして主人公の戦い続ける生き方はこんなにも美しいんだと、それを伝えたかったのではないか。尼子司の「どうしようもないもの」に対して抗う生き様は負け組なんかじゃない。尼子司の生き様(=あろえの組み立てたキリスト像)はこんなにも美しいんだと。極論がその思想を維持する上で必要とされるように、彼の真っ直ぐすぎた生き様が私たちの琴線に触れ、少しだけ彼を見習うようになるのです。
 

不条理と戦い続けることへの称賛×惰性にして得る快楽の肯定

前者が瀬戸口氏のSWAN SONGであることは言うまでもありません。ここにテキスト力の秀でた後者の内容を書くライターを紹介します。レイルソフトで活躍する、希(まれに)さんです。彼の書く主人公の堕落ぶりはまさに対極です。(というか、瀬戸口さんが惰性というものを嫌いすぎるのかも)

どうせ死んじゃうのなら 楽しい事ばっかり考えて過ごせばいいと思いませんか?
争ったり傷つけあったり、そういうのは 何だか余計な事みたいです
SWAN SONG 柚香の言葉

人の一生は、ずっと迷い続けているようなものではありませんか?
それならば、どうせ迷い続けているのなら。
本当に好きなところで迷い続けていたいと願うのは、いけないことなのでしょうか
神樹の館 紫織編(おそらく希氏による)

2人とも同様の内容をヒロインに吐かせますが、瀬戸口氏は主人公にそれを否定させるのに対し、希氏はそれを受け入れるストーリー展開を書いています。

ちなみに

神樹の館田中ロミオさんが手懸けたことになっていますが、ロミオさんはロミオさんでこんなカコイイこと言ってます。

行き先が分からないのと道に迷うのは違う
神樹の館(おそらくロミオ氏による)